
M&A担当に任命されたものの、何から手をつけるべきか分からない。その間にも仲介会社からの案件は届き、判断を求められる。社内に経験者はおらず、聞ける相手もいない。この状態で必要なのは、個別の交渉テクニックではありません。いま自社がどこにいて、次に何を押さえるべきかが分かる地図です。
M&Aの進め方は、検討段階(戦略策定・ソーシング・初期検討)、実行段階(基本合意・デューデリジェンス・最終契約・クロージング)、統合段階(PMI)の8つのフェーズに整理できます。着手からクロージングまでの目安は6か月から1年、その後のPMIにさらに3か月から1年を要します。起点は仲介会社への相談ではなく自社の戦略策定にあり、前工程の質が後工程の成否を規定します。
この記事の要点
- M&Aは8つのフェーズが連なる一本のプロセスであり、前工程の質が後工程の成否を決める
- 起点は仲介への相談ではなく自社の戦略策定。ここが抜けると案件に振り回される
- PMIの設計はデューデリジェンス段階から始まる。買収後に考え始めた時点で手遅れになる
- ただし統合準備の前倒しには独占禁止法上の制約(ガンジャンピング)がある。前倒しとクリーンチームの設計はセットで考える
目次
M&Aの進め方は8つのフェーズで整理できる

検討・実行・統合の3段階
M&Aのプロセスは、大きく3つの段階に分かれます。
検討段階は、何を買うかを決める段階です。戦略策定、ソーシング、初期検討の3フェーズが含まれます。実行段階は、実際に取引を成立させる段階です。基本合意、デューデリジェンス、最終契約、クロージングの4フェーズで構成されます。そして統合段階が、買収した会社と自社を統合してシナジーを実現するPMIです。
重要なのは、この3段階が独立した作業ではなく、一本のプロセスとしてつながっている点です。検討段階で決めた投資基準が実行段階の交渉の拠り所になり、デューデリジェンスで洗い出した論点がそのまま統合段階の課題リストになります。
8つのフェーズ一覧
各フェーズの目的、主なアウトプット、主な関与者を一覧にしました。自社がいまどこにいるかを確認しながら読み進めてください。
| フェーズ | 目的 | 主なアウトプット | 主な関与者 |
|---|---|---|---|
| 1. 戦略策定 | M&Aで何を獲得するかの定義 | M&A方針・投資基準・ターゲット要件 | 経営企画・経営陣 |
| 2. ソーシング | 候補の探索と接触 | ロングリスト、ショートリスト | 経営企画・仲介/FA |
| 3. 初期検討 | 概要情報での適合性判断 | 初期評価メモ、初期的な企業価値の試算、NDA締結、IM受領 | M&A担当・事業部門 |
| 4. 基本合意(LOI/MOU) | 主要条件の大枠合意 | LOI/MOU、取引保護条項(独占交渉権) | 経営陣・FA・弁護士 |
| 5. デューデリジェンス | リスクと価値の検証 | 財務・税務・法務・事業DDレポート、企業価値評価 | 会計士・弁護士・コンサルタント・事業部門 |
| 6. 最終契約(DA) | 条件の最終確定 | 株式譲渡契約、表明保証、補償条項 | 弁護士・経営陣 |
| 7. クロージング | 決済と権利移転 | 独禁法クリアランス、クロージング書類、資金決済、株式移転 | 経理財務・法務 |
| 8. PMI | 価値の実現 | Day1プラン、100日プラン、シナジー管理 | 統合責任者・全部門 |
企業価値評価(バリュエーション)は、この8つのどこにも独立したフェーズとして現れませんが、2段構えでプロセスに並走します。フェーズ4で基本合意に価格を記載するための簡易的な試算を行い、デューデリジェンスで得た情報をもとに本格的に算定し直します。担い手はFAや第三者算定機関で、DDチームとは別に置かれるのが通例です。自社のプロセス図のどこにもこの作業が見当たらないなら、価格の根拠を誰も持っていないということになります。
全体でどれくらいの期間がかかるか
期間の目安は、着手からクロージングまでで6か月から1年です。ここにPMIが続くため、統合完了までを含めると1年から1年半程度を見ておく必要があります。
段階ごとの内訳は次のようになります。
- 戦略策定:1か月から3か月(ゼロから投資基準を全社で合意する場合は3か月程度を見る)
- ソーシング:常時(案件の巡り合わせによる)
- 初期検討から最終契約締結まで:3か月から5か月
- 最終契約締結からクロージングまで:1か月から3か月(独占禁止法の待機期間や許認可の取得に要する期間)
- PMI:クロージング後3か月から1年
デューデリジェンスだけを取り出すと、1か月から1.5か月、長くても2か月程度です。ここで誤解しやすいのは、この期間を決めているのが対象会社の規模ではないという点です。実務書では「会社の規模や事業の範囲にかかわらず」この期間で終える必要があるとされており、期間を規定しているのは買い手側の投資委員会の日程です。だからこそ重要論点に絞って検証しなければ終わりません。
一方で、ディール全体が1年を超えて長期化することはあります。ただし原因はDDの延長ではなく、条件交渉の難航、独占禁止法のクリアランス、海外子会社を含む場合の各国届出です。社内のスケジュールを引くときは、DDは短期決戦、最終契約締結からクロージングまでは読みにくいという非対称を前提に置いてください。
検討段階:戦略策定・ソーシング・初期検討

フェーズ1 戦略策定:M&Aで何を獲得するかを定義する
最初にやるべきことは、案件を探すことではありません。自社の全社戦略において、何が足りないピースなのかを定義することです。
具体的には、次の3つを言語化します。
- 投資テーマ:どの市場・どの能力・どの顧客基盤を獲得するのか
- 投資基準:どの条件を満たす案件なら検討するのか、どこを超えたら降りるのか
- ターゲット要件:業種、規模、地域、保有アセットを具体条件に翻訳したもの
ここが曖昧なまま先に進むと、後のフェーズで必ず跳ね返ってきます。買収目的が定義されていない案件は、価格交渉の局面で「いくらまでなら出せるか」の判断ができません。社内説明の段階でも、なぜこの会社なのかという問いに答えられなくなります。
フェーズ2 ソーシング:待つのではなく照合する
ソーシングは、候補企業を探して接触するフェーズです。ここで進め方が2つに分かれます。
受動型は、仲介会社や銀行から持ち込まれる案件を検討する進め方です。戦略起点型は、自社でロングリストを作り、そこから能動的にアプローチする進め方です。
戦略起点型に切り替えると、持ち込み案件の扱いも変わります。案件が来たら必ず自社のリストと照合し、リスト外だが良さそうだと感じた案件は、要件定義そのものを見直すシグナルとして扱う。リストが学習していく仕組みになります。
持ち込み案件だけに依存することで案件を捌くことにリソースが取られ疲弊しやすいので、事前に判断基準を策定することを推奨しています。
| 受動型(持ち込み依存) | 戦略起点型 | |
|---|---|---|
| 案件の母集団 | 売り手が売りたい会社 | 自社が買うべき会社 |
| 競争環境 | 複数の買い手に同時打診されオークションになりやすい | 相対交渉が基本で価格と条件の主導権を持てる |
| 検討の起点 | 案件が来てから戦略適合を後付けで検証する | 戦略要件が先にあり、案件は要件との照合で済む |
| 工数構造 | 全件をゼロから検討するため担当者が疲弊する | 照合基準があるので初期判断が数分で済む |
| 価格形成 | 入札プレミアムが乗りやすい | 適正価格での交渉余地が大きい |
フェーズ3 初期検討:見送りを速くする
初期検討は、概要情報の段階で検討を続けるかどうかを判断するフェーズです。
ここで効いてくるのが、見送りの速さです。工数が奪われるのは案件が多いからではなく、判断基準がないからです。ノンネームシートの段階で、戦略テーマへの適合、規模のレンジ、除外条件、価格レンジの乖離という4点を確認し、1つでも外れれば当日中に理由を添えて返す。この運用ができている買い手は、担当者の工数が空くだけでなく、仲介会社側から優先的に情報が回るようになります。
判断が速く、途中で降りず、条件を後から覆さない買い手だと認知されることは、次の案件供給を増やす投資でもあるのです。
実行段階:基本合意・DD・最終契約・クロージング

フェーズ4 基本合意(LOI/MOU):法的拘束力は条項ごとに設計する
基本合意は、主要な条件について大枠の合意を交わすフェーズです。ここで取り交わす書面には2種類あり、しばしば混同されます。意向表明書(LOI)は買い手が一方的に差し入れる書面で、買収の意思と条件の骨格を示すものです。基本合意書(MOU)は双方が署名する契約書です。どちらも最終契約ではありませんが、署名主体が違うため交渉上の重みも変わります。
また、この書面に価格を記載するために、簡易的な企業価値の試算が必要になります。正確な算定にはデューデリジェンスで得られる情報が不可欠なため、この段階の数字はあくまで試算です。ここで出した価格が後で動く前提であることを、社内で先に共有しておいてください。
この書面は一般に法的拘束力を持たないと説明されますが、正確には条項ごとに設計するものです。全体を法的拘束力のない形式(non-binding)とする場合でも、秘密保持、取引保護条項、デューデリジェンスへの協力義務、準拠法や費用負担といった一般条項については、例外的に拘束力を持たせるのが通例です。逆に価格には拘束力を持たせません。
もう一つ、上場企業の担当者が見落としやすい論点があります。基本合意書を締結してM&Aを事実上決定した場合、その時点で金融商品取引所規則に基づく適時開示が必要になり得ます。開示のトリガーは最終契約でもクロージングでもなく、基本合意まで前倒しし得るということです。ただし、締結が単なる準備行為にすぎない場合、交渉開始にあたっての合意でしかなく成立の見込みが立たない場合、その時点で公表すると成立に至らないおそれが高い場合には、開示は不要とされています。法務とIRに事前に当てておくべき論点です。
なお、実務で「独占交渉権」と呼ばれるものは単一の権利ではなく、取引保護条項という条項群の一部です。第三者への勧誘禁止・接触禁止条項、追加提案権条項、ブレークアップ・フィー、ロックアップ条項などがあり、基本合意書の中(最終契約前に現れる対抗提案から守るもの)と最終契約書の中(クロージング前に現れる対抗提案から守るもの)の二段で設計します。売り手側の取締役の善管注意義務との関係で、より有利な提案が出た場合に離脱を認めるフィデューシャリー・アウト条項が入ることもあります。
注意すべきは、独占交渉権が買い手の権利であると同時に時間の制約でもある点です。独占期間中に想定外の論点が次々と出てくると、期限が迫るなかで条件を飲むか降りるかの二択に追い込まれます。だからこそ、独占交渉に入る前に、どういうシナジーがありそうで、そのために何が解消される必要があるのかを整理しておく必要があります。
フェーズ5 デューデリジェンス:リスクの検証と買う理由の検証は別物
デューデリジェンスは、対象会社のリスクと価値を検証するフェーズです。財務、税務、法務、事業の各領域で実施します。
ここで押さえておくべき区別があります。会計士や弁護士が検出するのは、リスクです。ディールブレーカーになる事象や、価格調整の要因を見つけてくれます。一方で、買う理由、つまりシナジー仮説が成り立つかどうかの検証は、発注者にしかできません。
この役割分担は、実務書でも明確に整理されています。財務デューデリジェンスでは過去業績を中心に精査が行われ、事業(ビジネス)デューデリジェンスでは将来の事業計画についての精査が行われる、という切り分けです。財務DDの標準的なスコープは、過去実績の正常収益力(QoE)、純有利子負債、運転資本の検証で、将来の事業計画やシナジーの蓋然性は標準スコープの外側にあります。財務DDは事業計画を検証するのではなく、検証のための材料を渡す側だと捉えてください。
しかも財務DDと事業DDの境界線には曖昧な部分が多く、実際のディールでは誰がどこまで見るのかの線引きが宙に浮きやすいと指摘されています。事業デューデリジェンスを自社主導で設計しない限り、誰も買う理由を検証しないままディールが進んでいくことになります。
デューデリジェンスの期間は1か月から1.5か月、長くても2か月程度しかありません。全部を見ることは物理的に不可能で、重要論点に絞る前提でしか設計できないということです。だからこそ、発注する前に、この案件で最も怖いことを社内で言語化し、キックオフで専門家と共有してください。スコープが薄すぎれば重大なリスクを見落とし、厚すぎればコストとスピードを失います。
フェーズ6 最終契約(DA):DDの発見事項を価格と条項に反映する
最終契約は、株式譲渡契約(SPA)などの形で条件を最終確定するフェーズです。
デューデリジェンスとこのフェーズは、直列ではなく並走します。デューデリジェンスの発見事項は、価格への反映、表明保証でのカバー、クロージング条件化、特別補償、リスクとしての受容という5つの選択肢に仕分けられ、その判断が契約条項に落ちていきます。
表明保証と補償は、法律文書の形をしたリスクの値付けと配分です。どのリスクを売り手に残し、どこまでを価格に織り込み、どこからを買い手が飲むか。これは法的な技術論ではなく経営判断です。弁護士に丸投げすると、発見事項があっても補償の上限や期間が実態に合わず、回収できない設計になることがあります。
なお、この段階で仲介会社とFA(ファイナンシャル・アドバイザー)のどちらを起用しているかによって、受けられる支援の範囲が変わります。詳しくはM&A仲介とFAの違い|買い手目線の使い分けと契約の注意点で解説しています。
フェーズ7 クロージング:決済と権利移転
クロージングは、買収代金の決済と株式の移転を行うフェーズです。前提条件の充足確認、クロージング書類の授受、資金決済という手続きが中心になります。
ただし、最終契約の締結日とクロージング日の間には通常一定の期間が空きます。前提条件の充足に時間を要するためで、この区間は事務作業ではなく、案件が壊れ得る区間です。典型的な前提条件は、独占禁止法上のクリアランス、その他の許認可、表明保証の正確性、契約締結後に対象会社に重大な悪影響が生じていないこと(MAC条項)、第三者からの同意取得です。このうち独禁法や許認可は相手方がコントロールできない事項で、期間も読みにくい。実務書でも、契約締結日からクロージングまでに要する期間は取引自体の成否に影響するため、検討の初期段階で見積もる必要があるとされています。
さらにこの区間には、統合準備を急ぐほど踏みやすい落とし穴があります。ガンジャンピングです。詳細は後段の「独占禁止法のクリアランスとガンジャンピング」で述べます。
いずれにせよ、クロージングはゴールではありません。買収価格に織り込んだ価値を実現するためのスタートラインです。
統合段階:PMIは買収前から始まっている

フェーズ8 PMI:統合プランの初版はクロージングまでに完成させる
PMI(Post Merger Integration)は、買収した会社と自社を統合し、想定したシナジーを実現するフェーズです。期間の目安は3か月から1年です。
先に用語を揃えておきます。実務では最終契約の締結日をDay 0、クロージング日をDay 1と呼びます。100日プランとは、Day 1からDay 100までの約3か月間に実行する統合計画のことです。つまり100日の起点はクロージングであって、契約締結ではありません。
失敗するパターンには共通点があります。デューデリジェンスと契約はディールチームが担当し、クロージング後に統合チームへ引き継ぐ。統合チームは経緯も論点も知らないままゼロから始める。結果としてDay1が準備不足のまま到来します。
うまくいっている企業は、デューデリジェンスの段階で統合責任者をチームに参画させています。デューデリジェンスの発見事項がそのまま統合課題リストになり、契約交渉に統合の仕掛けを反映できる。誰が抜けたら価値が毀損するのかというキーパーソンの特定も、事業デューデリジェンスの期間に行うべき作業です。
そのうえで、統合プランの初版を完成させる目標時点はDay 1、つまりクロージングです。最終契約を締結したら直ちに統合プロジェクトチームを発足させ、Day 1を迎えるまでに初版を仕上げる。これがPMIの最初のフェーズの目的です。契約締結の時点で初版が完成していることを目指すのではなく、契約締結までに材料と体制を仕込み、Day 1までに初版を仕上げる。この順序で捉えてください。
デューデリジェンスのレポートは、買うかどうかの判断材料であると同時に、買った後に何をするかの設計図でもあります。一度の調査を二度使うのが、連続して買収に成功している企業の型です。
契約前にやるべき統合設計
具体的に、契約締結までに次の5点を決めておいてください。
- 統合責任者の指名:クロージング後ではなくデューデリジェンス着手時に指名する。理想は、買収の事業計画に数値責任を持つ事業部門の責任者
- キーパーソンのリテンション:誰が抜けたら価値が毀損するかをデューデリジェンスで特定し、残留合意やインセンティブ設計を最終契約とセットで組む
- コミュニケーション設計:従業員向けと取引先向けはクロージング日(Day 1)から逆算して準備する。一方、上場企業の適時開示は基本合意または最終契約の締結時点でトリガーし得るため、Day 1から逆算すると間に合わない。開示のタイミングと内容は契約の公表条項で相手方と合意する事項でもあり、買い手が単独で決められるものではない
- シナジーの実行計画化:価格に織り込んだシナジーを、施策、金額、期限、責任者の一覧に分解し、100日プランと月次のモニタリングに接続する
- ガンジャンピング対策:クロージング前に踏み込める範囲を法務と確定し、必要ならクリーンチームを組成する。競合関係にある案件では、前倒しの推奨がそのまま違法行為になり得る
進め方でつまずく3つの誤解
現場で繰り返し目にする誤解を3つ挙げます。いずれも、進め方の順序が崩れることで起きます。
| 誤解 | 実態 | なぜそうなるか |
|---|---|---|
| M&Aは案件が持ち込まれてから始まる | 戦略策定とソーシング設計で成否の大半が決まる | 持ち込み案件から検討が始まると、順序が案件から理由へと逆転する。検討が進むほど買わない理由を探す人が社内からいなくなる |
| デューデリジェンスは専門家に任せておけばよい | 専門家が検出するのはリスク。買う理由の検証は発注者にしかできない | 財務デューデリジェンスの標準スコープは過去実績の検証であり、将来計画やシナジーの蓋然性は対象外。事業デューデリジェンスを自社主導で設計しない限り誰も検証しない |
| クロージングがゴールである | クロージングは価値実現のスタートライン。織り込んだシナジーはPMIで初めて回収される | 買収価格からスタンドアロン価値を引いた差額が、PMIで取りに行くと約束した金額になる。実現できなければ高値掴みとなり、のれんの減損リスクが高まる |
3つ目について補足します。買収価格は、対象会社が単独で生み出す価値(スタンドアロン価値)に、シナジー価値と、競争環境次第で乗るプレミアムを加えたものです。したがって、支払った価格からスタンドアロン価値を引いた差額は、統合によって取りに行くと約束した金額ということになります。
ただし、この差額のうちプレミアム部分は、シナジーを実現しても回収できるとは限りません。入札で競り上がった分は、シナジーの裏付けなしに乗った価格です。高値掴みと呼ばれる案件の多くは、過剰なバリューアップ施策やシナジーに期待してプレミアムを払いすぎたものだと指摘されています。差額の全額がPMIで回収可能だと考えるのではなく、シナジーで説明できる範囲を超えてプレミアムを乗せていないかを、価格を決める時点で確認してください。
大企業のM&Aに固有の論点
意思決定のスピードが売り手側とずれる
大企業のM&Aには、ディールの外側に固有の難所があります。
売り手側と仲介会社のプロセスは週単位で動きます。一方で買い手側の意思決定は、月1回の経営会議や取締役会のサイクルに縛られます。この構造的なずれが、コンペで他社に案件を取られる原因になります。
うまく回している企業は、M&A案件については臨時開催や書面決議も可能にするなど、承認フローを事前に設計しています。加えて、誰が意思決定者なのか、その意思決定者は何を根拠に判断するのかを明確にしています。案件を通すうえでの正解が定義されていないことが、進まない理由の多くを占めます。
なお、一定規模以上の株式取得は「重要な財産の譲受け」として取締役会の決議事項にあたります(会社法362条4項1号)。ただし、いくら以上が「重要」なのかは法律上定められておらず、実務では総資産の1%程度を目安とする例が多いとされます。だからこそ、自社の基準額を内規で明確にしておくことが実務上の要請になります。スキームが事業譲渡や合併であれば株主総会の特別決議が必要になるケースもあり、必要な機関決定はスキームによって変わります。
独占禁止法のクリアランスとガンジャンピング
一定の規模要件を満たす株式取得は、公正取引委員会への届出が必要です(独占禁止法10条2項)。届出が受理されてから法定の待機期間が経過するまで、株式譲渡を実行することはできません(同10条8項)。審査は第1次審査が30日以内、詳細審査に移行した場合の第2次審査が90日以内という流れです。対象会社が海外子会社を持つ場合は各国の競争法クリアランスも必要になり、スケジュールはさらに伸びます。この待機期間の存在を織り込まずに引いたスケジュールは、必ず崩れます。
そしてもう一つ、統合を急ぐ買い手ほど踏みやすいのがガンジャンピングです。クロージング前に企業結合を前提とした行動をとることを指します。典型例は、クロージング後すぐにシナジーを出すために、買い手と対象会社の事業部門の担当者どうしで営業情報を交換したり、管理部門どうしで会計基準や社内基準の統合に向けた情報交換を行うことです。
これは待機期間終了前の株式取得を禁じる独占禁止法10条8項に違反し得るほか、企業結合後であればグループ内の行為として問題にならない共同行為を結合前に行うことになるため、私的独占やカルテルを禁じる同法3条に違反し得ます。対象会社が上場会社であれば、金融商品取引法上の問題も生じます。
対策として実務で用いられるのが、クリーンチームの組成です。日々の営業活動や意思決定に直接関与しない者(バックオフィス業務の担当者や外部アドバイザーなど、競合事業に関与していない者)でチームを組み、価格情報のように競争に影響を与える可能性の高い情報はそのチームだけが扱う、という設計です。
本記事はPMIの準備をデューデリジェンス段階から前倒しすることを推奨していますが、買い手と対象会社が競合関係にある場合、この前倒しには法的な上限があります。どこまで踏み込めるかを法務と確定しないまま統合準備を進めると、独禁法違反のリスクを負うことになります。前倒しとクリーンチームの設計は、必ずセットで考えてください。
のれんと減損:日本基準とIFRSで効き方が変わる
会計面では、のれんの扱いを理解しておく必要があります。
まず、のれんの金額は簿価純資産との差額ではありません。取得原価から、識別可能な資産・負債を時価評価した純額を差し引いた残りがのれんです。簿価純資産30億円の会社を100億円で買収したとしても、のれんが70億円になるわけではなく、資産・負債の時価評価差額と、商標や顧客関係といった無形資産への配分を行った後の残額がのれんになります。
そのうえで、日本基準とIFRSでは効き方が変わります。日本基準では、のれんは20年以内の期間で定期償却され、毎期の償却費が営業利益を圧迫し続けます。IFRSでは定期償却がなく、毎期の減損テストで判定します。
誤解されやすいのですが、日本基準に減損がないわけではありません。日本基準でも減損の兆候があれば減損テストの対象になり、償却と減損は併存します。違いは効き方です。日本基準は償却によって簿価が逓減していくため、計画未達が生じたときの減損額は相対的に小さくなります。IFRSは簿価が減らないまま積み上がるため、事業計画が未達になった時点で一括して多額の減損損失を計上するリスクを抱えます。
どちらの基準かによって、買収価格の許容度と社内説明のロジックが変わります。取得原価の配分手続(PPA)は、クロージング後ではなく価格の検討段階で概算しておくべきものです。
自社の現在地を診断する5つの問い

いま自社がどのフェーズにいて、何が欠けているのか。次の5問で判定できます。NOがついた項目が、次に埋めるべき場所です。
| 診断クエスチョン | NOなら欠けているもの | 戻るべきフェーズ |
|---|---|---|
| 自社がM&Aで獲得したいものを、事業部門の言葉で3行で説明できるか | 投資テーマとターゲット要件の言語化 | フェーズ1 戦略策定 |
| 持ち込み案件を5分で見送り判断できる基準を持っているか | 初期スクリーニング基準 | フェーズ3 初期検討 |
| いくらまでなら出せるかを、案件の熱量が上がる前に決めているか | 投資基準と撤退基準の設計 | フェーズ1 戦略策定 |
| デューデリジェンスでリスクの検証と別に買う理由の検証を誰がやるか決まっているか | 事業デューデリジェンスの体制設計 | フェーズ5 デューデリジェンス |
| 買収後100日の統合責任者を、契約前に指名できる体制があるか | PMI体制の事前設計 | フェーズ5 デューデリジェンス |
よくあるのは、M&Aの方針はあるのに動けていないというケースです。この場合は戦略策定とソーシングの間で停滞しており、投資基準とターゲット要件が言語化されていないことが原因です。持ち込み案件の精査に追われている場合は、初期スクリーニング基準が作られていないか、社内で合意できていない可能性があります。
よくある質問
M&Aの進め方は何から始めればよいですか?
自社の戦略策定から始めてください。案件を探したり仲介会社に相談したりするのは、その後です。M&Aで何を獲得するのかという投資テーマ、どの条件なら検討するのかという投資基準、業種や規模を具体化したターゲット要件の3つを言語化することが最初の作業になります。
M&Aの検討開始から完了までどれくらいかかりますか?
着手からクロージングまでで6か月から1年が一般的な目安です。内訳は、戦略策定に1か月から3か月、初期検討から最終契約締結までが3か月から5か月、最終契約締結からクロージングまでが1か月から3か月です。ここにPMIが3か月から1年続くため、統合完了までを含めると1年から1年半程度になります。デューデリジェンスだけを取り出すと1か月から1.5か月、長くても2か月程度で、期間を規定するのは対象会社の規模ではなく買い手の投資委員会の日程です。全体が1年を超えて長期化する原因は、DDの延長ではなく条件交渉の難航や独占禁止法のクリアランス、海外子会社を含む場合の各国届出です。
M&Aのプロセスで最も重要なフェーズはどこですか?
検討段階、特にフェーズ1の戦略策定です。前工程の質が後工程の成否を規定するためです。投資基準が決まっていなければ価格交渉で判断の拠り所を失い、買収目的が曖昧なままではデューデリジェンスで何を検証すべきかも定まりません。失敗の原因は後工程で顕在化しますが、原因そのものは前工程にあります。
社内にM&A経験者がいない場合はどう進めればよいですか?
小規模な案件で型を作ることから始めるのが現実的です。失敗しても屋台骨が揺らがない規模でプロセス全体を一周し、投資基準、デューデリジェンスのチェックリスト、論点管理表、PMIタスクリストを自社のフォーマットとして残します。案件ごとに改訂していくことで、2件目以降の速度が上がります。
PMIはいつから準備を始めるべきですか?
デューデリジェンスの段階からです。統合責任者をデューデリジェンスのチームに参画させ、発見事項をそのまま統合課題リストに変換します。統合プランの初版を完成させる目標時点は、クロージング日(Day 1)です。最終契約を締結したら直ちに統合プロジェクトチームを発足させ、Day 1までに初版を仕上げます。クロージング後に準備を始めると、情報の空白と不安がピークに達するDay 1に間に合いません。ただし、買い手と対象会社が競合関係にある場合は、クロージング前の情報交換に独占禁止法上の制約(ガンジャンピング)があります。踏み込める範囲を法務と確定し、必要ならクリーンチームを組成してください。
まとめ
M&Aの進め方は、検討・実行・統合の3段階、8つのフェーズで整理できます。この8つは独立した作業ではなく、前工程の質が後工程の成否を決める一本のプロセスです。
押さえるべき点は4つです。起点は仲介への相談ではなく自社の戦略策定であること。デューデリジェンスではリスクの検証と買う理由の検証を分けて設計すること。PMIの準備はデューデリジェンス段階から始め、統合プランの初版はクロージング(Day 1)までに仕上げること。そして最終契約の締結からクロージングまでの区間は事務手続きではなく、独占禁止法のクリアランスとガンジャンピングという固有の論点を抱えた区間であること。
今日できることを1つ挙げるとすれば、5つの問いで自社の現在地を確認してみてください。NOがついた項目が、次に埋めるべき場所です。
本記事で整理した8フェーズの全体像、成功企業に共通する型、段階別の失敗パターンは、ホワイトペーパー「M&A担当になったら、まず知っておくべきこと」に図解付きでまとめています。無料でダウンロードいただけます。
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自社がいまどのフェーズにいて、何から着手すべきか。判断に迷う場合は、個別相談で一緒に整理することもできます。
参考文献
- 経済産業省「企業買収における行動指針-企業価値の向上と株主利益の確保に向けて-」2023年8月31日 https://www.meti.go.jp/press/2023/08/20230831003/20230831003.html
- 経済産業省「公正なM&Aの在り方に関する指針-企業価値の向上と株主利益の確保に向けて-」2019年6月28日 https://www.meti.go.jp/press/2019/06/20190628003/20190628003.html
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/m_and_a_guideline.html
- 経済産業省「中小M&Aガイドラインを改訂しました」2024年8月30日 https://www.meti.go.jp/press/2024/08/20240830002/20240830002.html
- 久野雅志『最強のM&A-異質を取り込み企業の成長を加速させる指針と動作』日本能率協会マネジメントセンター
- マーバルパートナーズ編『M&Aを成功に導く ビジネスデューデリジェンスの実務(第3版)』中央経済社
- 戸嶋浩二・内田修平・塩田尚也編『M&A契約-モデル条項と解説』商事法務
- 塩野誠・宮下和昌『事業担当者のための逆引きビジネス法務ハンドブック M&A契約書式編』東洋経済新報社
執筆者
水野 貴弘(株式会社ISSUE RESEARCH & TECHNOLOGIES 代表取締役)
野村證券に新卒入社後、上場企業グループのCFOとして中期経営計画策定、M&Aおよび資本業務提携の戦略立案と実行、上場準備、子会社2社の事業立ち上げを担当しEXITまで推進。YCP Solidianceではファイナンス・戦略チームに所属し、M&Aおよび投資関連プロジェクトを中心に推進。